このページではフレーム意味論について手元にある資料を基に定義や方法論、課題などをまとめる。フレーム意味論は言語分析において非常に有力な枠組みであるにもかかわず入門的な本やページが(特に日本語で)存在しない。私自身の今後の研究にも大きく関わってくる分野であるので、ここで簡単にまとめておくことにした。
フレーム意味論の真髄は語彙分析に「世界知識(百科辞典的知識)」を取り入れたことにある。それがまさにフレームであり、lexical itemがそのフレームを「喚起する」と考える。また、生成文法とは違い言語の自立性を認めず、言語の意味は「言語の使用」から生じてくるという立場をとる。この点で使用依拠(Usage based)であるとも言えるだろう。さらに、semantic featureを使ったりtruth condtionに重点を置く従来の意味論(T-semantics)とは異なり、理解の意味論(semantics of understanding: U-semantic)であるという立場をとる(Fillmore 1985)。
このような立場は、非常に語用論に近いものがあり(cf. Sperber and Wilson 1986/95, Wilson and Sperber 1993)、フレーム意味論は意味論と語用論の間に立つものといえるかもしれない。以下、フレーム意味論の出発点となる問題をいくつか提示し、定義、先行研究、分析方法などについて述べる。さらに、フレームを基にしたオンライン上の辞書であるFrameNetについてもまとめる。
"restaurant"という言葉を聴くとどのようなことを思い浮かべるであろうか。waiter, menu, ordering, meal, bill etc.などを思いつくのが普通だろう。このことから、これらの単語はrestaurantという単語と密接に関わっているということができる。
しかしながら、これらの単語は、restaurantという単語の反意語でも、上位語でも下位語でもない。すなわち、意味的な関連性がないのである。これらをまとめる単位として提起されたのが、フレームという概念である。誤解を恐れずに言うと、単語に関する「背景知識」である。
もうひとつ例を考えてみよう。Tom went to the bank because he wanted to get some money.という文において、bankという語は「土手」ではなく「銀行」と理解される。ここでは、聞き手が「銀行にいけばお金を引き出せる」という背景知識を持っており、「お金を下ろしたかった」という文脈によってこの単語の意味が「銀行」であると決定されると考えることができる。
このように単語の意味は独立に決定されるわけではなく、背景知識を参照して意味が理解され、また文脈によって意味を与えられる。このような問題は従来の真理値に重きを置く意味論ではうまく扱うことができなかったのである。そこで提唱されたのがフレーム意味論である。以下では定義を概観する。
本節では、フレーム意味論の提唱者であるFillmoreの論文 (1982, 1985, 2008)やPetruck (1995)、Croft and Cruse (2005)などでの定義を概観する。フレーム意味論は「フレーム」に足場を置く理論であるので、ここではわかりやすいように「フレームとは何か」という問いの答えになっている部分を引用することとする。
I thought of each case frame as characterizing a small abstract 'scene' or 'situation', so that to understand the semantic structure of the verb it was necessary to understand the properties of such schematized scenes. (Fillmore 1982: 115)
A 'frame' ... is a system of categories structured in accordance with some motivating context. Some words exist in order to provide access to knowledge of such frames to the participants in the communication process, and simultaneously serve to perform a categorization which takes such framing for granted. (Fillmore 1982: 119)
On the one hand, we have cases in which the lexical and grammatical material observable in the text evokes' the relevant frames in the mind of the interpreter by virtue of the fact that these lexical forms or these grammatical structures or categories exist as indices of these frames; on the other hand, we have cases in which he interpreter assigns coherence to a text by 'invoking' a particular interpretive frame. (Fillmore 1982: 124)
「買う(buy)」という単語を理解するには実に様々なことを知っていなければならない。買う人(buyer)はお金(money)を売り手(seller)に渡すということと引き換えに、商品(goods)を受けてとることが「買う」ことの一般的な「シナリオ」だが、この時点で実に多くの要素(element: frame element)が含まれていることに気がつく。このやり取りを「売買フレーム」と定義しよう。すると、「買う」という動詞はこのイベントの中で、「買い手の行動」にフォーカスを当てたものだと言える。(cf. Fillmore 1977)さらに、売り手にフォーカスを当てた動詞として「売る(sell)」が、お金(money)を前景化し、商品(goods)を背景化する動詞どして「払う(pay)」、「費やす(spend)」、「かかる(cost)」が挙げられる。ここでのポイントは、ここにて出てきた単語のどれひとつをとっても、背景知識(Frame)なしでは理解できないことである。
...[N]obody could be said to know the meanings of these verbs who did not know the details of the kind of scene which provided the background and motivation for the categories which these words represent. (Fillmore 1982: 116-117)
このようにフレームという単位を考えることで、フレームが単語の意味を規定し(frame structures the word-meanings (Fillmore 1982: 117))、単語によってフレームが喚起される(the word 'evokes' the frame(ibid.))と言える。さらに、多くの単語をネットワークで結ぶことが可能になり、語彙分析の単位として非常に有益なものであるといえるし、関連語をまとめて理解できるので教育上にも役に立つものであるといえるだろう。
"We will soon reach the shore."
"We will soon reach the coast."